拓本職人・石原正信さんに話を聞いてみた。西田橋の拓本全面公開します!!!
出版社のブログですが、またまた本とは関係のないブログです。
ですが、まずは本題に入る前に、ロシアのウクライナ侵攻に反対します。
戦禍が一刻も早く去り、一人でも多くの命が助かることを心から願っています。
さて、
出版社のわたしが自社の本の宣伝もしないで何をしているかというと、こちらです。
「西田橋の拓本全面公開」!!!
こちらの開催に関わっているところなんです。
江戸期の薩摩、肥後の名工・岩永三五郎の指導で架けられた「五石橋」ですが、1993年の8•6水害で新上橋と武之橋が流失しました。
その後、県によって撤去されようとする西田橋を、「西田橋をなんとか残したい」という市民の手によって採られた拓本を展示するのが今回の機会です。
では、「拓本」って一体なんなんだ!??と皆さんお思いですよね。
拓本。
「ちょっと君、急いで拓本取っといてや」などとビジネスや日常生活の場では使われない言葉です。
そんな全県民の疑問を解消すべく、名山のレトロフトMuseoまで、拓本作業の実践者である石原正信さんのお話を聞きに行きました。
こちら石原さん。御年81! 昭和15年のお生まれだそうです。元気すぎるのとその記憶力に脱帽です
こちらはレトロフト! 2階がギャラリー。有機野菜レストラン森のかぞく、古書店リゼットも入っています。大好きです
こちらフライヤー! ナイスですね。
レトロフトオーナーの永井さん。「しなやかな反旗」という名言を胸に活動されています。鹿児島の賢人と思っています。
石原さんによる、拓本の原理はこうです。
石橋に、濡らした紙を貼り付ける。(といっても、ただの紙ではなく、夾宣紙という特殊な竹でできた紙。サイズは70cm×90cm、大きいです)
ブラシで叩く。紙に石橋の型(凹凸)をつけます。
わかりやすいように実際にやってみせてくれる石原さん。紙に形をつけていきます。時計がかっこいいです。
当時の作業の様子。文字通りしがみついての拓本採り! 石橋の高さは9.5メートル。落ちたらただごとじゃありません
「タンポ」と呼ばれる道具で墨をつける。(松脂やオリーブオイルを混ぜた「油墨」を塗るそうです)。イベント当日はインクで代用しました。
こちらが「タンポ」。「アベノマスクで作ってきました」とはにかむ石原さん。所々ぶち込んできますので、聞き逃せません。
紙の凸の部分に墨が乗る。
これが「湿拓」という作業だそうです。
小学生の頃、五円玉に紙を乗せて鉛筆でシャカシャカしませんでしたか? あの感覚です。
参加者全員も体験。上手にできました!
ちなみに型に使われたのは石原さん手作りのコースター。参加者全員プレゼントだそうです。石原さん、優しい。
と、簡単に書いていますが、それを石橋の撤去作業と競うようにしていくわけです。「撤去が先か、拓本が先か」という決死のレース。
採った拓本は、2000枚といいます。2000枚を、10mを超える危険な足場の上に乗り、一枚一枚採っていくのです。作業は107日間!続いたそうです。
さらに驚愕なのは、拓本の「原本」は非常に貴重であるゆえ、全てにコピーを取ったというのです。
その数は20000枚!!!!!!!
石原さんはその複製作業を2年間、たった一人でされたのです。
職場で考えたら労働基準法違反で訴えられるレベルです。
しかし、石原さんは何の苦労でもなかったように語るのです。
さらには石原さんは、「普通のコピー用紙だと、石橋の凹凸の感じが出ないんです。なので、和紙を切ってコピーしました」と言われました。
出版人として、紙の質感の重要性はよくわかっています。しかし、いわゆるエンボスの効いた紙、質感のある紙はコストが上がります。ついでに、和紙を20000枚カットするだけでも凄まじい作業です。和紙だけに埃・チリも出ます。コピー機が2台ぶっ壊れたそうです。当たり前です。
誰に言われてやるわけでもないけど、品質のいいものを世に残す。ここに職人の矜持を感じるのです。石原さんは一言もそんなふうにはおっしゃらないのですが。
何が石原さんをそうさせたのでしょうか。
「縦9•5m、全長57m、尋常じゃないサイズの拓本を作るなんて、一体誰のアイデアだったんですか?」と素朴な疑問をぶつけてみました。
「あぁ、あれはねぇ、野ぞえ先生です」
!!!
この男だったのか!!!!! 写真は若き日の野ぞえ先生です。
野ぞえ宗男先生。先日市立美術館で「野ぞえ宗男と桜島展」を大成功させた画家です。
あまりにも絵がうまくて、わたしは会期が終わってからいろんな絵を見るたびに、「あ、野ぞえ先生の絵は全く別次元のものだったんだ」と改めて思うようになりました。
会期中の野ぞえ先生と奥さま。右が展覧会の実行委員長・大寺聡さん! 今回の西田橋展示の実行委員長でもあります!
やはり、どの世界にも「この人が言うならやるしかねえ」と人心に火をつける剛腕が必要なんですね。(野ぞえ先生は比喩じゃなく実際に剛腕なんですが。今も腕がめちゃくちゃ太いです笑)
野ぞえ先生のアイデアのもと、3000人の市民により採られた拓本。
そして、西田橋の拓本を、はたから見れば狂気としか表現できない作業で複製した石原さん。
しかし、わたしは石原さんの話ぶりを聴きながら、いわゆる市民運動のシーンにいる方々と決定的に何かが違う。と思いました。(筆者も実は市民運動どっぷりの人間です)
「石原さんは、そもそもなんで西田橋の拓本の作業に加わられたんですか?」
とまた質問をぶつけてみました。
「あぁーー、そいはね、温泉に行く時、ラジオで聞いたのよ。西田橋のぉ、なんかねぇ、面白そうなのやるって。わたしは貼り屋(内装業をされてたそうです)だったから。貼るのは手伝えるな、っち思うて。たぬき温泉に行く時だったですね。はっはっは」
驚きで一瞬声が出ませんでした。
たまたま温泉(たぬき湯)に行く時にラジオで聞いた。
自分は技術を持ってたから役に立てると思って参加した。
2年間で20000枚の複製作業を一人でやった。
石原さんは、すべてをこともなげにおっしゃるのです。
誰だって、「自分はこんな苦労をした。だからこれは素晴らしいものだ。価値があるのものだ」と言いたい。私も言いたい。
石原さんは、そんなことを一言も言わないのです。
淡々と、決して眉間に皺もよせず、あの日々を思い出し、鹿児島弁で語られる。
若い友人は石原さんをして「利他の人だ」と言いました。
それほど若くない友人は「天使のようだ」とも。
いかに自分をブランド化することに人びとが腐心してる世です。
石原さんの存在は真の意味で宗教的なのかもしれません。
無数の市民が石橋にしがみつき、取り憑かれたように取りついて採った拓本を、石原さんが複製をした「西田橋の拓本」。紙の上に歴史を、人々の血を、意志を刻み残す行為は、出版業を営む者として大いに共感します。
「西田橋の拓本全面公開」。
これがファイナルです。もう見れません。
是非おいでください。
「西田橋の拓本全面公開」
かごしま県民交流センター2階大ホール
AD2022年3月23日(水)~27日(日)
9:00~19:00 入場無料主催 西田橋を拓本で残す会 まちづくり県民会議
協力 鹿児島の歴史と文化を愛するみなさん
会場では石原さんや野ぞえ先生にも会えるかもしれません。是非お話を聞いてみてください
ちなみに石橋トーク、次回3月5日土曜日のゲストはこの方、『かごしま西田橋』『里の石橋453』(南方新社)の著者・木原安妹子さん!
司会の方から「木原さんも石橋について一言どうぞ」と振られたら、「あら~、私は学(がく)がないから何も言えません。足はもうガクガクです」とぶちかましてました。
面白れえ!!!
役者が揃ってきたぜ西田橋!
次回のトークもおいでください!!!
ーーー
拓本の公開はクラウドファンディングで資金を募っています。どうぞご協力ください!
あなたの石橋写真展も開催します。『鹿児島偉人カルタ55』の作者・下豊留佳奈さん監修。石橋の写真を送ってください!