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燦燦舎のブログ

燦燦舎(さんさんしゃ)は鹿児島のあたらしい出版社です。

テ、テ、テ、テレビがやって来た!

 

地デジ化により14型のテレビデオが突如沈黙してから6年。

燦燦舎にテレビがやってきた。驚くほど薄い。

(地デジ化でなんかいいことあったんだろうか)

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まるで街頭テレビで力道山の空手チョップを見るかのごとくドラえもんに目を輝かせる子どもたち。ピコピコハンマーが最近のお気に入りのようだ。

(ちなみにわたしは77年生まれなので、力道山をリアルタイムでは見ていない。アントニオ猪木は見てた)

 

引っ越しをして薪風呂が灯油ボイラーに変わり、三種の神器と謳われたカラーテレビも導入された我が燦燦舎。文明開化しすぎである。ひとまずこれくらいでええやろ、と思う。

 

家電については、これ以上のテクノロジーの発展は必要を感じない。

テレビも、冷蔵庫も洗濯機も、道具として必要な最低限な機能っちゅうもんは、もう充分に達成されている。テレビは映ればいいし、冷蔵庫は冷えればいいし、洗濯機は回ればいい。ついでに車は走って曲がって止まればいい。日々たゆまぬ奮闘をしているメーカーの方がたには大変申し訳ないが、売らんがならんために無理矢理機能を増やしているように思えるのだ。

 

進化してるようで機能が落ちているものもあった。風呂はスイッチをぴこんと押せばお湯が出るようになったが、薪風呂の温かさにはかなわない。これは情緒的なことを言ってるんじゃなくて、物理的にそうだ。薪風呂は薪という熱源がある限り風呂釜が温まり続けるが、お湯がジャーっと出てくる式の風呂は、お湯を足し続けないと温度は下がる一方だ。そこに湯よりも温度の低い36度前後の我々が入るわけだから、さらに湯は冷める。

※この辺うろ覚えの理科の知識なので、何かあったら「こっそり」教えてください。

 

文字通り湯水のように湯を使うシャワーは、いくばくかの罪悪感があり使っていない。

(シャワーって、快楽のためにあるじゃないかと思っている。嗜好品的な。だから温泉に行ったらわーい!って使う)

 

残り少ない化石燃料ではなく、廃材として捨てられる運命にあったその辺の木切れが熱に変わり、我々の身体も清潔になる薪風呂はいま人類に最も必要なものではないかとも思えてきた。既に薪風呂が恋しい俺。

極めて幸運なことに、新燦燦舎の風呂はスイッチぴこんも薪も使えるハイ・ブリッド型。プリウスもびっくりだ。

しかし、現在仕事がたまらん状況。こんなこと書いてる場合でもないのは重々承知している。かつ風呂の煙突が破損している。

いつか時間が見つかったら修復し、半ボイラー半薪風呂暮らしくらいにもっていきたい。

 

とまあ何だか偉そうなことをつらつらと書いているが、テレビやクーラーに囲まれて育った世代。ドリフ、加トちゃんケンちゃん、元気が出るテレビたけし城で大きくなったようなもんだ。ファミコンもめっちゃしてた。ついでに言うとPCエンジンもしてた。

テクノロジーを否定もせず、過度に依存せず、しかし資源は有限なのを理解し、少しずつ落としていくのがええんちゃうかと思っている。

 

特にオチはないし、文体も人称も途中で変わったりするが、時々こんな雑感も綴りたい、と前も書いた。

 

まずは、「逃げるは恥だが役に立つ」を見てみたい。