燦燦舎のブログ

燦燦舎(さんさんしゃ)は鹿児島のあたらしい出版社です。

田の神さあに あいがとさあ

みなさんおやっとさあです。

 

燦燦舎を1年間見守ってくださった、木彫りの田の神さあ(タノカンサア)が次のお宅にお引っ越しでした。なんと、わたくしの元職場、鹿児島の出版界を20年牽引し続ける、南方新社さんに受け渡しです。うれしいですね。

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たわしでゴシゴシこすり、きれいにしてお返しします

 

うちにやって来て、玄関の田の神さあを見てぎょっとする人も時々いました。

あるいはびびりながら気づかないふりをするとか。

「あそこは何か謎の宗教でも入ってるのか?」と思ったのかも。

 

田の神さあとは、鹿児島と宮崎の一部に見られる石の神様。田んぼの畦や土手に立っています。豊作、五穀豊穣を祈るありがたい存在です。我が川上町の田の神さあは1741年に造られたもの。川上の田と小学生を見守ります。

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こちらは川上町の田の神さあ。2013年撮影。子どももまだ幼いですね

 

地力の乏しいシラス台地に覆われ、毎年のように台風が襲来する鹿児島。加えて薩摩藩の年貢の収奪は「八公二民」といわれるほど厳しく、人びとは厳しい暮らしを強いられていました。

そんななかでも田の神さあがユーモラスな表情をしているのは、南国ゆえのおおらかさからくるのでしょうか。頭には甑という土器の底に敷く「シキ」をかぶり、手にはメシゲ(しゃもじ)とすりこぎを持つのが一般的な田の神。その姿は多種多様です。

後ろから見るとなんと!男性器の形。子孫繁栄の象徴でもあります。ありがたや。

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普段はお米だけ供えてましたが、お別れメニューはお米、塩、野菜と芋の豪華版!

 

燦燦舎に鎮座してました田の神さあは、画家・黒田清輝のご子孫が彫ったというもの。何かを語りかけてきそうな表情です。毎年11月に鹿児島の有機農家さんたちが集まって開催される元祖オーガニックの祭典「生命の祭り」の実行委員会の間を順繰り順繰り巡ります。30年以上続いているのはすごい! しかもここ5年は連続で雨! これもまたすごい!

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田の神さあお渡しの儀。左はわたし、右のオレンジカッパは南方新社代表取締役向原祥隆さんです! 会場のライオンズ公園は田んぼのようになっちまった! 写真は友人いのりえさんより提供です

 

この田の神さあが来たら福が来るといういわれがあり、燦燦舎がこの一年経営できているのもそのおかげかと思っています。ぼくは鹿児島人にしては珍しく、あまり信心深いほうではないんですが、田の神さあには毎日お米を供え、朝はお祈りしておりました。遠出するときには旅の安全を祈り、本売りに行くときは繁盛を祈りました。「祈る」とか「拝む」行為は、常に他者を意識させてくれるというか、見守ってもらっているという気持ちにさせてくれます。どうにもやさぐれてしまいそうな日々を律してくれるといいますか。いまつくっている新刊も「祈り」という行為と無関係ではなく、もしかしたら田の神さあのおかげかもしれません。

やるだけやったら、後は拝むしかねえ!とも思います。

子どもたちもさみしそうでしたが、こんな古くからの民間信仰が身近にあったことはきっと彼らにとってもよきものとなったでしょう。ぼくはこれでも鹿児島市の騎射場っちゅう街の子だったんで、田の神さあとか大人になるまで知らんかったよ。よかなあ、うちの子たちは。田の神さあが燦燦舎にやって来たはじめの頃、供えていた米が夕方になくなってて、子どもたちが「田の神さあが食べたねえ」と言ってたのが思い出されます。きっと鳥が食べたんやろけど。

この一年、本当にあいがとさあでした。

来年はさらに飛躍を!

その前に新刊だっ! 年越しだっ!!